見ること、便利なことの中で踊る
見て比べて落ち込んで・・・
ネットが普及してきて何年経ったでしょう?
わたしがネットに触れ出したのは
Win95が出てからでした。
それからでも25年ほど。
現在は、その頃の状況と比べると
とても貧弱なものでしたが、
それが無ければ
Facebookもインスタも
その他のサービスも生まれなかった。
ひとが新しい商品や
サービスなどを思いつくのは
その状況に不便を感じるからこそ!
現在に満足して
それを変えることに興味を抱かなければ
新たな発見も変化もサービスも始まらない。
あとは
それをいかに有効利用できるか?
それはそのサービスなどを使うひとに委ねられている。
あなたは使う側ですか?
それとも
使われている側ですか?
使っているようで使われている?
FBなどのSNS疲れで
使っていないひともいる。
ネットは便利ですが、
代わりに暇な時間、
深く考える時間、
こころを落ち着かせる時間を失っている。
また、
見て分かることには
ひとがはまってしまう罠がある。
それは自分と自分以外を比べてしまうこと!
それによって
自分が良い目にあうことは無い。
食べ物の写真や旅行の写真。
勝ち組のように感じるものを見れば
ひとはそれが羨ましく思うもの。
そこへ自分も行こうと
奮い立つのであれば
有効であると云える。
しかし、
ネットの世界で一番協力なのは
足を引っ張ること。
匿名で意見を言う場合は
匿名でしか言えないことを言っている。
それによって
自身がマイナスの感情に陥れば
使わないほうが幸せに成れるというものです。
道具は使うもの
便利だから使うのは
ひととして当たり前の判断の仕方。
大切なのは想像すること!
写真とはよくできた言葉で、
真(まこと)を写(うつ)す
と書く。
それはその瞬間を写し出すもので
そこには時間の流れがない。
その写真に至るまでの過去も
その写真の後の未来も
そこには写し出されない。
そしてひとはその時のことしか覚えない。
その後どうなったか?
そんなことに気持ちは行かない。
だから
目指したことを達成すると
どうすればいいかが分からなくなる。
(それを維持することの難しさを知る)
自分にとって
何が道具で、
何のために使うのか(おこなうのか)?
そんなことから見直せば
違う自分に氣づくと思いますよ。
最後まで
読んでいただき有難うございます。
これからよろしくお願いします。