発達障害は悪か?
普通の人間はいない、都合のいい人間だけがいる
日本ではビル・ゲイツは生まれないと言われます。
何かの能力が飛び抜けて存在すると
多くのひとができる事ができなくなる。
これは程度の差こそあれ、
よくあるはなし。
ある芸能人が社会人になった後に、
東大に入学したとき、
こんなことを言ってました。
東大は全ての教科を普通以上に取れれば入れる。
つまりずば抜けた能力があるひとが入るところではない!
まさに日本人の心情にあった大学ですね(笑)。
世の中を変える能力ではなく、
世の中を円滑に回す能力はある。
日本の場合の発達障害は
この能力から遠いひとを指すと思います。
100年前から変わらない
いまを見るには歴史を知るのが一番。
日本がいまのような教育をしだしたのは明治期。
西洋に比べたら当時の日本は遅れていた。
そのため多くの人材を必要として、
全体的な底上げが必要になった。
その中から優秀なこどもが
高等教育を受けて
経済人や官僚などになっていった。
しかし、それは先行している国や制度など
それを知って実践するためには有効だったが、
先頭に立った場合は
緩やかな停滞しか産まない。
世の中を進めるのは
若者、よそ者、バカ者と言われます。
昨今、発達障害と言われるひとが
欧米ではその役目を果たしている。
そんなひとから見たら、
日本で順調に勉強をしてレールに乗っているひとの方が、不思議な存在に思えるでしょうね!
でも、心配しなくて大丈夫です。
アメリカでも他の西欧でも家族は
学校に行って、資格を取り、企業に勤める
そのことを望むものです。
みんながみんな起業を目指している訳じゃない。
自分は変えられるが他人は変わらない
人間関係のはなしでよく聞くフレーズです。
発達障害と判断されたこどもや
すでに大人になっているひとを変えるのは難しい。
自分自身がみんなと違う。
自分自身をコントロールが難しい。
ならば近くにいるひとが変わるしかない!
そんなこどもを持って
それでも何とかやっていけてるところは
同じようなアプローチをしていると思います。
不得手をできるようにさせるより、
得意を伸ばさせる。
これは普通に学校に行けたひとも変わらない。
いまは大きな転換期。
社会的評価から個人的評価へ!
発達障害という言葉も社会的評価。
それを強みに変えることができれば
個人的評価が社会を変えることになる。
普通も
当たり前も
しょせんは言葉遊び。
そんなモノは存在しない。
発達障害は悪ではなく、
受け取り方によってはギフテッドにもなります。
最後まで
読んでいただき有難うございます。
これからよろしくお願いします。